こじらせ女子と呼ばれる女

親友から「こじらせてる」と言われた理由。嫌な女全開で語る

今までの「普通」を手放す勇気〜寄生女からの脱却〜

「こじらせ女子」と呼ばれる女、ねこです🐾

 

「普通」という言葉は難しい。

私の普通と隣の人の普通は必ずしも一緒ではない。

普通はその人を取り囲む環境や経験から成り立っている。

だから、環境の変化やさまざまな経験で

今まで当たり前だった「普通」は更新される。

 

自動更新されるものは

自然と受け入れれるものも多いが

そうではない場合は

今までの「普通」を手放す勇気

というのも必要なときもある。

 

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Pくんと過ごす

ということは、この勇気もまた私には必要だ。

 

30代未婚女のここからの半年の決意ブログ⬇︎⬇︎⬇︎ 

www.kojisaseneko.work

 

このブログでkirakunist(id:kirakunist)さんから

 

「もしかしたらねこさん、平凡でもいわゆるフツーの人生を望んでいるんじゃないですか🙄」

 

とブクマコメントをいただいた📝

このコメントをいただいて、

ブログからもそんな私の気持ちが表れているのか

と驚いた🙄

 

それは最近ずっと私がつまづいているテーマだから。

 

今までの私の「普通」は、

学生時代からの友達(お坊ちゃんお嬢さん)との環境が作り出したもの。

 

その友達たちとランチに行くとなれば、

1人1万円以下なら「お手頃」という感覚だ💵

「ランチが8000円でやってるからラッキー⤴︎⤴︎」

 

「ディナーに美味しいものを食べよう‼︎」

となれば、1人3.4万くらいに収まれば🙆‍♀️

 

金銭感覚でいうとこんな感じだった。

具体的な金額や決まりがあったわけではないが、

なんとなーくの私たちの「普通」だった。

これがすごい贅沢というわけでなくても、

いわゆる世間の普通ではない

と気づいたのは、大人になってからだった。

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新しく出会った友達たちも含め、

バースデーの食事をどこでするか⁉️

とグループ内で相談していたとき、

あるNEW友達が言った📣

 

「せっかくだから美味しいものを食べようよ‼️」

 

お店選びを任されるのはいつも私σ^_^

私はバースデーディナーということもあり、

オススメのお店を選んだ🍽

決まったお店の料理、予算、サプライズなどを報告すると、いつもの友達は、いつも通りの反応🙌

そこでNEW友達はこう言った。

「えっそのコースの値段は高すぎる‼️

もっと安いのないの⁉️」

私たちは驚いた😳

 

バースデーディナーなのに安いのって、、、🙄

このお店に一体彼女の価格設定はどれくらいだったのか、、、

 

よくよく聞いてみると、

その子的には1人1万円ほどを想像していたようだった。

ランチぢゃなくてディナーで😳⁉️

そのとき、私もそういう感覚だった。

その後もこういうことは続き、

このグループ間はこじれた💧

 

職場の先輩と私で話していた会話でも同じようなことは起こった。

 

「近々友達の誕生日なんだけど、

ねこさんならプレゼントにいくらくらいまで使う?

何買うか迷っててー」

 

🐱「仲の良さにもよるけど、

仲が良かったら8くらいまでですかね?」

 

「8千円かあ。そうだよね。

でもその金額って選ぶの難しいよねー」

 

「8」

私は8万円のつもりだったが、

先輩の感覚では8千円だった。

 

これはお金の価値をわかっていなかった頃の私の感覚だ。

世間に出た私はこういう経験を繰り返し、

今の「普通」に自動更新されていった。

学生時代のまま働くことなく、

今も同じような生活を過ごしている友達たちは

世間の感覚に更新されることなく、

むしろあの感覚に強さを増している🙄

 

どちらが正しいとかどちらが間違っているとかではないのだと思う。

過ごす環境の中で無理なく過ごせているのであれば、

それはそれで「普通」なのだ。

私は学生時代の友達とも未だ仲良しだ。

その子たちと遊ぶときは昔のように楽しんでいる。

大人になってから出会った親友たちとは、

今の「普通」で楽しく過ごしている。

私はどっちつかずのまま過ごしているが、

今のところ無理はしていないので

これはこれで私のスタイルなのだと思う。

 

この今の「普通」を受け入れるまで、

私の中で少し我慢していると感じることは何度かあった。

しかし今の私は、過去の自分や学生時代の友達たちを羨んだり苦しむことはない。

戻りたいと思っているわけではない。

 

日々の生活という意味では、

今の生活の方が地に足がついている感じが良い。

いろんなことに感謝したり、気づきもたくさんある。

学びもたくさんあり、

今の生活の方が人として良い生き方をしているような気がする。

こういう生き方を知れて良かったと今は思えている。

こういう生活を教えてくれたのはPくんだ🐥

こういう平和で「普通」の生活を送ることを想像し、

こういう生活もいいなと私は感じている☺️

 

そう思ってはいるものの、

今のPくんと一緒にいるということは、

少なからず今までの「普通」に戻ることはない

ということを実感するタイミングはある。

そのとき、私は複雑な思いになるときがある🌀

 

当たり前のように夢見ていた家族像もそのうちの1つ。

こういう家に住んで🏠

こういう生活を送って、

この車に乗って、

子供はこの学校に通わせてあげたいetc...

今までずっと当たり前のように夢見ていたことが、

できない確率の方へ傾いてゆく気がするのだ。

有名私立幼稚園や学校など

歳のせいもあるが、Pくんには全く興味がないから

教育方針も作りたい家族像も違うだろう。

 

私が次買おうと思っていた車は

今の環境では買えないし、

最近、欲しい時計を見つけても、

今はこの100万を時計に費やすべきではない

と自動的にブレーキがかかるのを感じる。

 

決して過去の自分に戻りたいのではない。

今の生活が本来の私のあるべき姿だ。

それはわかっているのだ。

日々の節約生活には何も思わず、

平凡で感謝のある毎日癒されていても、

その対象が大きな物になり、

一生手に入らなくなるかもしれないかも⁈

という現実がよぎったとき、

頭ではわかってはいるものの、

なぜ私は今我慢しているのだろうか、、、

と複雑な気持ちになることがまれにあるのだ。

 

平和で平凡な普通の生活を求めているはずなのに、

自分の今進んでいる道と、今までの「普通」との葛藤。

ただ迷っていても仕方がない。

思っていても仕方がない‼︎

まずこの半年はもがく‼︎‼︎‼︎

寄生女からの脱却への道は、

試行錯誤しながらまだまだ続いていくฅ(*ΦωΦ*)ฅ