こじらせ女子と呼ばれる女

親友から「こじらせてる」と言われた理由。嫌な女全開で語る

恋愛感情の「好き」ってなに?人として「好き」とどう違う?

「こじらせ女子」と呼ばれる女、ねこです🐾

 

「好き」と一言で言っても、

人として「好き」

家族愛の「好き」

恋愛感情的な「好き」

など、いろいろある。

恋愛感情の「好き」と人としての「好き」

ここにはどんな違いがあるのだろうか?

 

恋愛としての「好き」という感情がわからない

 

と聞けば、

「こりゃ難ありだ🙄」

と思われるだろう。

難ありなんだと思います、私。

でもわからないものはわからない。

それが私なのだ😑

 

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「好き」という感情がないわけではない🙅‍♀️

むしろ多い方だと思っている。

人として気が合う、合わないはあるし、

「嫌い」という感情はハッキリしている🙅‍♀️

ただ私の「好き」は人としての「好き」であり、

恋愛としての「好き」があまり区別されていない。

「嫌い」以外は

似たような分類の「好き」なのかもしれない。

 

遡ること中高生時代🏫(ものすごーく遡る🙄)

 

私はヤンチャなグループと仲は良かったが

悪いことには手を染めず、

ただその子たちと仲が良かった🚺🚹

クラスで中心的グループとも仲良く、

学祭などの行事にはその子たちと必ず中心にいた。

真面目なグループともそれなりに仲が良かった。

みんなそれぞれ「好き」だった。

 

私の恋愛傾向にも通ずるところがあるが、

学生時代によくある

固定のグループ的なものには自分からは属さず、

休憩中も決まった子に話しに行くなんてこともない🐱

私のところに来てくれた子と話して過ごすのが基本。

1人でポツンとしていることはなかったと思うが、

一匹狼的と言われることも多かった🐺

 

先生からも不思議な子だと言われていた🙄

はっちゃけてるかと思いきや冷静で

真面目なのかヤンチャなのかよくわからないと💧

(これ以上話すと話が逸れそうなので、ここまで🙅‍♀️)

 

まあこうやって誰とでもそれなりにうまくやっていたからか、先生から

「〇〇さん、くん(イジメられっ子と言われる子)と話してあげてほしい」

とお願いされることがあった。

(今の時代はこんなことはないのかな🙄?)

 

私はそのお願いを断ることはほとんどなかった。

その子が1人で寂しそうにご飯を食べていれば、

一緒に食べてみたり🍴

グループ行動時は

ぼっちの子を入れると他の子が嫌がるので、

私が抜けてその子たちとグループを組んだり。

八方美人だったわけではない。

私にとってはその子たちも「嫌い」な存在ではなく、

「好き」の分類だった。

(こだわりがないのかな🙄)

 

他の友達からは

「どうしてあんな子と一緒にいるの?」

「あの子と一緒にいたらねこちゃんのレベルが低く見られちゃうよ‼︎」

なんて言われることもあったが、

あまり気にしていなかった。

 

確かにみんなが嫌がる要素が見受けられる子はいた🙄

が、そこが嫌ならそこ以外で

いいところとうまく付き合えばいいじゃないか♪

という感覚だったような気がする。

 

「ねこちゃん、あの子と話すのやめなよー‼︎」

「私あの子キラーイ‼︎」

なんて言われながらも、

私はイジメられることもなく、

どのグループともなんとなく仲良く過ごしていた。

「好き」だけではなく「嫌い」という感情も

あまりないのかもしれない。

 

この過ごし方は大人になってもあまり変わらない。

「この人のココ、苦手かも」

と感じることはあっても、

人として付き合ってみれば良いところもたくさんある。

 

そうしているうちに大人になってからの私は

そこがいいんじゃない?

と思うことが多くなった。


「あの子、八方美人じゃない?」

「それも才能なんじゃない?」


「あの人、変わってるよね?」

「確かに変わってるけど、

話してみると意外と面白いよ?」

 

「あの人、失礼なこと言うよねー」

「確かに失礼でイラッとするけど、

正直でいいんじゃない?」


常識がなさすぎる人は嫌いだ🙅‍♀️

苦手な人は確かにいる🙅‍♀️

でも、こういうのはダメだ🙅‍♀️

という私なりの地雷を踏むような人でなければ、

たいがい誰とでも楽しくやっていけるタイプになったつもり。

 

だいぶ話は遠回りしたが🙄

そんな私は恋愛として「好き」という感情を

人より感じにくい。

それは誰にだっていいところがあるから。

他人には自分が持っていない

人として尊敬できるところがたくさんある。

だからそういうところを見つけると、

まずは「人として素敵だな」と思える。

 

友達や職場の人もそう。

「この人のココが好きだなぁ」

という感情は人より多く持っているつもりだが、

それ故なのか、私の欠落しているところなのか

そこから先の

「異性として好き」とか「彼氏として好き」

という感情にはなかなか発展しにくい気がする💧

 

過去に付き合っていた彼氏のとき、

「ねこちゃんって彼氏のこと好きだよね」

「そんなに愛されてて彼氏は幸せだね」

なんて友達から言われても

私の気持ちとしては、

そんなに彼氏のことが好きなつもりは、、ない🙄

 

付き合っているのだから、

もちろん「好き」なのだが、

私にとっての「好き」は、

女友達にも男友達にも彼氏に対しても、

大きさとしては変わりがないのだ。

仲良い友達や関わりのある人は

人としてすごく大切に思っている。

 

彼氏を好きに見えるのは

おそらく一緒に過ごす時間が長いからだろう。

私にとっては彼氏も親友も他の友達たちも

相手が私のことを大切に思ってくれている

と感じるから私も大切にしたいと思って行動する。

その過ごす時間が目に見えて多いから

周りから見ればそう見えるのではないか🙄?

と思うのだ。

 

そこに彼氏だから「すごく好き」

という特別な感情はなく、

「みんな尊敬できるところがあって、人として好き」

という言葉が当てはまる気がする。

 

じゃあ付き合うのは誰でも良かったのか?

と自分でも考えた。

結果、付き合うか付き合わないかの違いは、

私が相手のことを人として好き

ということが前提。

その上で気が合えば仲の良い友達となり、

相手が私を好きになってくれて、

オシが相当強かったら彼氏になる。

常に受け身で、友達と彼氏は紙一重

本当にただのタイミングだったように思えるのだ🙄

 

人として「好き」だけで付き合ってきた私の恋愛は

彼氏として「好き」という感情が生まれないまま

「情」に変わって、

人として許せなくなったときに終わる。

 

人として「好き」

の先にあるだろう恋愛感情の「好き」

は、いつになったら私の中に生まれるのだろうか🙄

今も昔も私はただ自分を大切に思ってくれている人を

大切にしながら過ごしている。

みんなが通ってきた「恋愛的な好き」という感情は

私のどこにあるのだろうか、、、

 

オシとタイミングが合わなければ

どんな良い人と巡り合っても、

私にとっては

人として「好き」で終わる。

 

こんな私は世間から見れば、

こじらせっぷりを発揮しているのだろう🙄