父の願いと娘のエゴ〜生き方の選択肢〜
「こじらせ女子」と呼ばれる女、ねこです🐾
【エゴ】
自我、自尊心、うぬぼれなどの意味を持つ言葉。
自分のことを中心的に考えるような利己的な様子。
私の父は数年前から介護付きのホームに入っていた🏠
ホームに入ると決めたのは父の意思。
今までのように普通の暮らしができなくなり、
家族に介護をさせたくないと思ったから。
介護が必要と言っても、
入った当初は1人で歩けたし、
整備の整ったホームでの生活はそれなりにできた。
ホームでは軽度な方だったと思う。
毎日母は父の元に通い、
近所でランチやお茶を楽しみ、
散歩をしたりして仲良く過ごしていた。
父がホームに入ってからは
大黒柱としての役割が私へと回ってきた。
私は仕事と実家の諸々と父とは面会程度。
まだまだ仕事優先だった私は
父自身のことは当初家族に任せっきりだった。
しかし日が経つにつれ、病状は進んだ。
去年から父は1人で歩くことが困難になってきた。
それからは私が父の病院担当となった。
私は極力休みの日には
父を病院へ連れて行くようになった🏥
元々父は仕事で海外にいることが多く、
幼い頃から一緒に住んでいるという環境ではなかった。
なので私の今日までの人生で
「父と過ごす時間」
は去年が1番多くなった。
今年に入り、新型コロナウイルスの影響で
父はホームから実家へ一時帰宅することになった。
実家から出ている私は日々の介護は母と姉に任し、
変わらず病院担当のために休みは実家へ帰っていた。
父は私が帰ってくるのをいつも楽しみにしてくれていた。
病院内を細くなった父を支えながら散歩をしたり、
父と外食をしたり(病院内のレストラン)、
いろんな話をして過ごしていた。
元気だった頃よりも私と父は密な関係になった。
体は自由ではないが、
こういう家族の時間っていいなと思うようになった☺️
しかしGWに突入し、父の病状はさらに進んだ。
入院しても1時間後に亡くなるかもしれない
命が繋がっても入院すれば一生歩けなくなる
このまま家に帰れば1ヶ月はもたない
低い確立にかけて入院するのか
家族の元で最後を迎えるのか
私の前に突然、究極の選択肢を突きつけられた。
こういう大きな選択をするのも今は私の役目。
母や姉はこういう重荷は背負いきれない。
病院側も家族側も常に私の答えを求めている。
そして父も先のことを私に委ねている。
私は自分の考えだけで父の足を諦めた。
低い確立でもいいから
やれるだけのことをしてあげたかった。
少しでも父が長く生きれるようにと
私は父を入院させた。
病院からは回復する確立は低く、
すぐに亡くなる可能性の方が高いと言われていたが、
奇跡的に父は回復した⤴︎
ただ回復したと言っても、
1.2時間後、死ぬかもしれないレベルから
家に帰れば1ヵ月もたないレベルへの回復。
(病院にいれば急変はほぼないという状態)
喜ぶにはまだ早く、
これ以上の回復はその病院では困難なため、
私は転院することを決めた。
転院の手続きなども全て私が行う。
そのおかげで転院先の診療室で久しぶりに父と会えた。
父はストレッチャーで登場🛌
👨おぉ🤚
片手を顔の横に上げる父のいつもの挨拶🤚
元々働いていた頃の父とは会えない生活が当たり前。
このときよりも会えない時間はもっともっと長かったが
そのときはなんとも思わなかった。
でもコロナのせいで面会できなかったこの1か月は
今までの当たり前に会えない時間より
とてつもなく長く感じた。
父のいつもの挨拶がなんだか懐かしく思えた。
🐱元気にしてた?1人で頑張ってすごいね☺️
4月までは支えながら散歩できていた父が
痩せこけた顔で寝たきりになっていたのだから
元気なわけがない。
歩くどころか車椅子にも1人では座れなくなっていた。
父の変わり果てた姿を見て
私は泣きそうになった。
私が選択した結果がこれだと現実を目の当たりにした。
転院先のドクターが父に聞いた。
🩺今1番困っていることはなんですか?
すると父が答えた。
👨歩けないことですね。
🩺そうですね。
少しでも今までの生活に戻れるように
今日からここで治療しましょう。
ドクターも私もわかっていた。
父がもう自分の足で歩くことはできないことを。
しかし父はその意味を理解していなかった。
ドクターのその言葉に父はこう答えた。
👨ここで治療しなくても家に帰れば歩けますよ。
入院してるから歩けないんですよ。
家にいたときは家族と毎日散歩してたので
家に帰れば歩けます。
私は正直驚いた。
確かに4月までは歩けていた。
が、入院直前の父は歩くことなんてできなかったのに
その記憶はおそらくすっぽりと抜け落ちてしまったのだろう。
コロナ下で入院して家族と会えなかったことで
頭の方も急速に進行したのだと感じた。
入院前に説明は受けていたが、
ここまで一気に進むのかと驚いた。
そしてこれも私が選択した結果だと思った。
🩺ねこ父さんは家に帰りたいのですか?
👨そりゃ帰りたいですよ!
入院していても治ることはありません。
家に帰れば今まで通りの生活ができます。
父は本気でそう思っていたのだろう。
父の命を繋ぐために
私は迷うことなく
父の「歩く」ということを諦めた結果がこれだ。
父の歩きたいという1番の希望を
おそらく一生叶えてあげることができなくなった。
歩けなくても父には生きて欲しい
という私の願いだけで
本当にこれで良かったのか
と考えさせられた。
要所要所はボケてはいるが父は賢い人だ。
ドクターの現状の説明を聞いて、
父はこう言った。
👨そうですね。
今帰っても家族に迷惑をかけるので
もうしばらく入院します。
決まったので早く病室に連れて行ってください。
初めてホームに入ると決めたときと同じように、
家族に自分の介護で苦労をさせたくない
という気持ちからか
あっけなく父は入院を決めた。
本当に理解をして入院したのかはわからない。
私はまたしても
「父が生きていて欲しい」
という自分の願いを優先し、
父の
「帰りたい」
という願いを叶えてあげる選択をしなかった。
ただ私は諦めていないのだ。
今は会えなくても
ここで治療をすれば頭の方も良くなるかもしれない。
そしていつか在宅介護ができるくらいに
治療がうまくいく日がくるのではないか。
そのときは父は車椅子に座り、
家族で食卓を囲んで話せる日が来るのではないか。
ないかもしれない低い可能性でも
私はできる限りのことをしてあげたい
これは娘のエゴなのかもしれない。
次に会えるときはどうなっているかはわからない。
それでも私はまた1人で
父の願いを叶えてあげる選択をしなかった。
生き方の選択に正解はあるのだろうか。
1つ1つの選択が重く私にのしかかってくる。
正解でなかったときは取り返しがきかない。
それでも私は自分のエゴを突き通し、
低い確立を諦めない。
今週のお題「お父さん」